ラベル ブッダ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ブッダ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年2月6日水曜日

食べるという選択 その1

ご近所のベジカフェめぐるさんのベジスパイスカレー























何を食べるのか、

食べないのか、

しかも、それはどんな理由でなのか。




選択はさまざま。




万人にとってこれが正解、なんて答えはないと思っている。




例えば、




ヨガなどのインドの文化に触れていると、

サットヴァな性質のものを食べるべき、

ということを耳にする。





インドで習った、

ハタヨーガ・プラディピカーにも、

食べてはいけないもの、避けるべきもの、食べていいもの、が書かれている。

でも、先生は、時代や国が違うから、必ずしも書かれている通りにしようとしなくていい、

という意味のことをおっしゃっていた。




特に気候や環境の影響は避けられない。




私にとって1番身近な例はチベット人の夫で、

伝統的に、厳しい気候の地域で、肉や乳製品をメインに摂ってきた彼らに、

菜食を勧めるは無理があると感じる。







私はというと、




今は、お肉もお魚も卵も乳製品も、

基本は食べない。




そうなったのにもいろいろな理由があり、

(それはまた別の機会に)

この先もずっとそうかどうか、もわからない。

(たぶんお肉を食べることはないと思うけれど)

人に強いる気もさらさらない。




ただ、



漠然と、

スーパーやレストランにオススメされるまま、

流されて口に入れるのではなくて、

(自分で選んでいるつもりが選ばされている、ということが多々あると思う)

納得して本当に自分で選んだものを食べたい。





とは言え、

お釈迦様は選択すらされなかったんだけれども。










2018年11月13日火曜日

残念だけど残念じゃないこと

とは言えなんだか捨てるのが忍びないチケット






















先月の入院から順調に回復した母が、退院してからも予想以上に落ち着いているので、

諦めていたダライ・ラマ法王の法話に参加しようと、

今月に入ってから、横浜行きを企んでいた。




ところが、

なんとか段取りをつけて、行きの夜行バスと入場券を手配したところで、

落ち着いていたはずの母が1日に2度も家で転んで、

幸い怪我はなかったけれど、急激に足が弱っていることに気づかされた。




おまけに、子供の頃いつも一緒に遊んだといういとこの訃報まで届いて落ち込む母を見て、

結局横浜行きは取り止めにすることにした。




一番お安い席とはいえ入場券は購入済み、

バスのチケット代も全額は戻ってこない。

何より法話に行きたかったから、

ずっと以前の私なら、さぞ苛立っていたと思う。




でも、今の私は、特にがっかりもしていない。

もちろんやせ我慢などではなくて。







母その他、自分以外の人や物事に振り回されることに慣れてしまった、ということもないとはいえない。

ただ、それだけとどこかに恨みが残りそう。

でもちょっと違うのだ。




せっかくなので、なぜなのか改めて考えてみる。




そもそも、

今回行けなかったことは、母のせいだと思っていない。

一見、誰か、や、何か、のせいであるように見えることも、

いつかの、私自身の行いが回り回って影響している、と思っている、

たとえそのつながりが見えなかったとしても。


さらに言えば、最終的に行かないと決めたのは私自身であって母ではない。



前回のブログにもチラリと書いたけれど、
ハハのムスメ



自分の身に起きることはすべて自分のせいだと考えれば、

誰かや何かを恨むことをしないで済む。




それに加えて、

行けなかったことが必ずしも残念な、マイナスなこととは限らないとも思っている。

行かなかったせいで、お釣りがくるくらい楽しい出来事に出会うかもしれないし、

逆に、行けていたとしても、来なけりゃよかったと思う出来事に出会うかもしれない。




つまり、

近くから見ると、

母のせいで起きたネガティブなこと、のように見えるけれど、

離れて遠くからみれば、

私自身が招いたポジティブなこと、になるかもしれない。







もちろんこれは私が考えたアイデアではなくて、 
こんな風に思えるようになったのは、

仏教その他、

インドやチベットの古い教えのおかげ。 






空いた時間、

母を連れて紅葉でも見に行こう。

それはそれでワクワクする。


















2017年9月16日土曜日

ご縁が繋がるところ

ブッダガヤのお釈迦様が悟りを開かれた
場所に立つマハーボディ寺院






















2011年の暮れから2012年の年明けにかけて、ダライ・ラマ法王のカーラチャクラ灌頂に集まった人々で大混雑するブッダガヤにいた。
お釈迦様が悟りを開かれた聖地、とはいえ田舎町で、参加者用のテント村なども用意されるけれど、世界中から集まった人を収容するだけの宿泊施設はない。


そんな中、私は仏心寺と言う日本の小さなお寺が併設するゲストハウスで快適に過ごしていた。
たまたまインターネットで見つけて、1年近く前に予約を入れておいたのだ。
もちろんここ以外にもホテルやゲストハウスはあるけれど、予約を入れたところで、そこはインド、あてになんかならない。
でも、日本人のお坊さんは、当たり前だけどちゃんと部屋を確保してくれていた。


メールでやりとりしただけのそのお坊さんに実際会ってみると、ずいぶん若くて驚いた。
このお寺とゲストハウス、それからここで開いている貧しい子たちのための学校の面倒を見るために、年の半分をブッダガヤで過ごしていると聞いて、さらに驚く。


ゲストハウスのみんなで作った晩ご飯を食べる

















カーラチャクラの期間中、他の部屋のチベット人やドミトリーの日本の若い子たちと、晩御飯を一緒に作って食べたり、巡礼に行ったり、阿弥陀様の前でお勤めをしたり。
そんなこんなを、いつも静かに見守ってくれている若いお坊さん。
ブッダガヤは、仏教徒でなくともいるだけで平和な気持ちが溢れる聖地なのだけれど、仏心寺は、そこに集った人たちを、優しく結びつけてくれる、そんな場所だった。


その頃は思ってもみなかったのに、ヨガを始め、さらに少しずつ指導も始めていた頃、お坊さんから連絡をいただいた。
彼のお父さんがご住職をされている日本のお寺でイベントをすることになり、そこでヨガをしてほしいということだった。
それが、3年前の、初めての「テラキテ」だ。


聞いてみると、テラキテのチラシのデザインをされたのも、やはり仏心寺を訪れた方、イベント当日、カレーを販売していた方もそう。
ブッダの聖地でつながった人たちが、日本のお寺でまた集う。
ご縁、というものを感じずにいられない。


その後、月1回定期的にそのお寺でヨガのクラスをさせていただくようになり、またそこでもご縁が広がっている。



ご縁に導かれて、また新たなご縁に出会う。

それが人と人なのだなあと思う。























そして、来月8日、3度目の「テラキテ」。

今年のテーマは『結』。

これまでのご縁を大切に、また次の良きご縁が結ばれますように。



2017年5月15日月曜日

犀の角のように





大乗仏教の、できる限り他者を助けなさいという考え方が好きで、
だからいつも、人との関わりの中で自分にできることがあるなら、歓んでしたいと思っている。

でも、

ときに、ただ相手に都合よく使われ、磨り減ってしまうこともある。
と言って、自分の身を守ろうと、自分の利益になる関係だけを選ぶ、というのは違う。

いつも、この2つの間でゆらゆらしてきた。



『犀の角のようにただ独り歩め』

「ブッダのことば」第1章の「犀の角」で、修行者のあるべき姿を示しながら、繰り返されるフレーズ。
独り歩め、と言いながら、真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ、とも言う。

一見矛盾があるように見えることばたちを噛みしめながら読んでいたとき、すっとどこからか聞こえてきた声があった。

「良き友のためにこそ、尽くしなさい」


私の力は些細なもの、時間は限られたもの。
身の丈を知れば、誰とどう過ごすべきなのか、自ずと見えてくるのかもしれない。

そして、

誰といても、私は私として、流されない、信頼できる自分であることが大切。
犀の角であれるように。


2017年5月10日水曜日

ブッダ・プルニマに



ダライ・ラマの本などは読んでいるけれど、シンプルなブッダの言葉にこれまで触れたことがなかった。中村元さんの訳も初めてだ。


もう少しスラスラと読めるかと思っていたら、本の厚みの半分近くが訳者の註で、原文のパーリ語でなんと表現されているかを交えながら、翻訳面の解説、哲学面の解説が入り混じっている。本文と註を行ったり来たり、なかなか進まない。


でも、これが予想外の面白さだった。


ヨガの哲学や、その背後にあるインドの哲学、それからサンスクリット語を、うっすらではあるけれど学んできた今だから、その中で聴きかじったサンスクリット語と似た言葉を見つけ、それが仏教の教えの中でどのように扱われているかを知ることに、心が躍る。


5年前だったら面白いどころか、うんざりしてたかもしれない。


チベット仏教の本を読んでいたから、ヨガ・スートラやバガヴァッド・ギーターを読んだとき、とても理解しやすかった。


そして、それらを読んだから今、この本が面白い。


いつも、ものごとは正しい順番でやってきているのかもしれない。
日々の小さなことについ気をとられて、見逃してしまったりもするけれど。


気付けば今日は、インドでゴータマ・ブッダの誕生日が祝われる、ブッダ・プルニマの日。