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2019年2月2日土曜日

学ぶ、幸せ。

文字を見ると、とりあえず読もうとする
























今日は朝から、

少しお久しぶりのサンスクリットのお勉強会。




参加出来なかった先月、

自分で本を開くことも、

しなかったり、

出来なかったりで、




ちょっと不安も感じながら、

でもやっぱり、わくわくしながら向かう。




お馴染みになった顔触れ。

それだけで落ち着く。




始まれば、

目も耳も手も頭も、いっぱいいっぱい。




脳みそが熱くなって、

うわあ、もうこれ以上無理、

と、何度か思う。




でもまた、

知りたいことに

気持ちが向かっていく。




インドで習い始めてから、

少しずつ、かじり続けてみてはいても、

先は見えない、

全体も見えない。




こういうとき、

これをして、どうなるんだろう?

何の役に立つんだろう?




以前の私は

そんなことばかり考えていたけれど。







精いっぱい、夢中で過ごす幸せな時間、




場を作ってくれる人がいて、

教えてくれる人がいて、

一緒に学ぶ人がいて、

そこにいられる自分がいる。







もうそれで、充分。

それ以上、何もいらない。







2019年2月1日金曜日

からだ、カラダ、身体























自分自身積み重ねてきた練習の中で理解したり発見したりして、

確信を得られたこと。

それから、

これまでの練習仲間や生徒さんたちを観察してきてわかったこと。




ヨガのクラスで伝えることは、

全て、

直接的、或いは間接的な、私の経験ベース。




外から得た知識のみで、

自分自身で確信出来ていないこと、は伝えない。

右から左へ知識を受け渡すだけなら、私はいらないと思うから、

何となくそれを信条にしている。




でも、

経験ベースだと、なかなか出会えないこと、

出会えないけれど知っておきたいことは、

確信を持って教えてくれる先生に学びに行く。







月に1度参加する解剖学のクラス。




1番の目的は、

自分とは違うタイプの身体について知ること、

それから、自分の身体についても、より深く知ること。




学ぶ中で、

経験的に確信していたことが、解剖学の説明と一致すると、

心の中で小躍りしている。



昨日もまた1つ、2つ、と、そんなことがあって、

特に大切だと思っていたことだったから、私の中はお祭り騒ぎ。




興奮気味に家に帰って、

今朝からは、

それらを反芻しつつ、還元しつつ、練習するのがまた楽しい。







いずれ思うように動かなくなり、

最後には消え去る身体。




でも、これ無しでは何も体験できない、大切な乗り物でもある。




私が人のお役に立てることはこれくらいなので、

自分の身体で日々実験しながら、

周りの人が、少しでも長く快適に過ごせるように、

乗り心地よく手入れするお手伝いができればと思う。
















昨日は、まき先生の、解剖学のクラスでした。

本で学べる単なる知識、ではなく、

それを丁寧にご自身の身体に落とし込み、

さらに多くの身体を見てこられた経験を通して生まれた知恵を、

惜しまずシェアしてくださる、有り難い先生です。

次回が今から楽しみ。











2019年1月29日火曜日

根っこの繋がり


5年ほど前、居心地のいい人たちと歩いた山の中。






















少し前まで、




私にさして興味はないのだけれど、

お付き合いしてくれていた人たちが結構いて、

でも、そういうのって不自然だから、

一緒にいると、しばしば腑に落ちない気持ちになることがあった。




でも、




いくつかのものを手離して生活が変わったら、

そういう人は、いなくなった。




私にくっ付いているように見えたもの、が、そうさせているのは知っていて、

でもそれは私じゃないんだけどなあ、と、ずっと思っていたので、

すっきりした。




寂しくなったわけでもなくて、




何もくっ付いていない小さな私、を、見てくれる、

愉快な人たちが周りに増えた。





根っこの方にあるエネルギーを感じて、お互い引き合う。

そんな人たちと、

もっと繋がっていきたい。





2019年1月27日日曜日

神さまとの時間

生田の森の楠
























手を合わせた途端始まった祝詞

顔を上げると、

社殿から澄んだ風が流れてくる







左手に回ると、

池の端に市杵島姫さま

小さなお社から伝わってくるもの







そして、

社殿の背後の、木々の影の中へ




それは、

幾本かの大きな楠に守られて、

清らかな空気を湛え続ける、鎮守の森




見上げた先から降り下りてくる光が、

足元のせせらぎをきらめかせる




その中でいつも楽しげに遊ぶ鳩たちと一緒に、

私も木漏れ日を踏んでゆっくりと歩く







ふと顔を上げると、

連なった朱色の鳥居の先、

お稲荷さんと目が合う




これまでご挨拶したことがないのに、

呼んでもらった気がして階段を上がる




初めまして、と頭を下げる

かららん、かららんと朗らかに響く鈴







また来ます、

そう、お稲荷さんに、

それから全ての神さまに伝えて、

鳥居を出る




何かを引き受けて、

何かを下さった、

そう感じる、

神さまとの時間。






今日は、神戸、大倉山安養寺さんでの、
月1回のヨガの日でした。
次回は2月24日です。

詳細 お寺でヨガしませんか?























2019年1月19日土曜日

お参りは愉しい

奈良県生駒市、宝山寺大黒堂前からの眺め。






月に1度、家族3人揃ってお参りするのが決まりだった。





日曜の朝、突然、母が今日はお参りに行くと宣言すると、のんびり休日を過ごすつもりだったはずの父も絶対逆らえず、必ず行くしかないのだった。





正直、楽しいお出かけではなかった。





寒くても暑くても、山の中腹に点々とあるお堂にお線香とお賽銭を備え、手を合わせながら、奥の院の先にある大黒堂まで登る。最後はお堂の周りを100回周るお百度を踏んで、ようやく帰路。

特に冬場は、今よりもっと寒かったから、手先足先が凍えて、本当に辛かった。





行き帰りに楽しい寄り道があるということもなく、特にお正月のお参りの時など、どちらかと言えば参道の屋台がメインらしい家族連れなどを、恨めしく眺めていた。






いつの頃からか、私は1人でお参りするようになり、父も他界して、それからもずいぶんと時間が経った。家族揃ってのお参りだけでなく、月に3回は通い、お堂のお手伝いまでしていた母も、自力で行けなくなって久しい。






私だけが、あの気乗りしなかった月1回のお参りを、誰に強制されるわけでもないのに、律儀に続けている。






それも、嬉々として。






今なら、なぜ母が月3度も通ったのかがよくわかる。






今日は久しぶりに大黒堂でお百度を踏んだ。


真言を唱えながら100回周る間、もう昔のように、早く終わればいいのに、とは思わない。






身体中の無駄な力が抜けて、お線香の香りが深く染み込んでいくのを味わいながら、大きなチカラに包まれる安心感の中で過ごす時間。


終われば何もかもニュートラルに戻っていて、ああまた来よう、そう思いながら山を下りる。






疲れたら、ただそこに行けばいい。


そんな場所を持てていることのありがたさを噛みしめ、そのご縁をくれた母にも、感謝を感じながら。








2017年9月22日金曜日

プラクティス、とは?

たまにはポーズの写真を。マイソールにて、シルシャーサナ。























ヨガを始めたばかりの頃、スタジオに通いながらも、モヤモヤしていることがあった。




どのクラスを受けても、先生のガイドに従って、毎回違うポーズをするだけ。

始めて習ったうまくできないポーズも、1回して終わり。

次の週に同じクラスに行っても、そのポーズが出てくるとは限らない。




長い間、同じことを何度も繰り返して身に付けていくダンスの練習に馴染んできた私は、違和感でいっぱいだった。




腑に落ちないまま2か月ほど経ったあと、どんなものかもよく知らずに、アシュタンガヨガのクラスに。




毎回同じ順番で決まったポーズを繰り返し練習する。

順番を覚えて、自分で練習を進めていく。

どこへ行っても、先生がいてもいなくても、練習ができるようになる。

練習が、自分のものになる。




そこには慣れ親しんだ、プラクティスの姿があった。

いや、プラクティスってそもそもそういうことのはずではなかったのか。




ようやくモヤモヤが晴れ、その2か月後には、アシュタンガヨガ本来の練習方法であるマイソールクラスに通うようになった。




アシュタンガだけがヨガだというつもりはない、実際そうは思っていない。

でも、練習、プラクティスを続けることがヨガであるとは思っているし、私にとっての練習、プラクティスとは、日々繰り返し積み重ねること以外にない。




そして、そう考える私が、ヨガを始めて間なしに、マイソールクラスに出会えたのは、偶然ではないと信じている。







マイソールクラス、とは?

についてはまた次回。


2017年9月16日土曜日

ご縁が繋がるところ

ブッダガヤのお釈迦様が悟りを開かれた
場所に立つマハーボディ寺院






















2011年の暮れから2012年の年明けにかけて、ダライ・ラマ法王のカーラチャクラ灌頂に集まった人々で大混雑するブッダガヤにいた。
お釈迦様が悟りを開かれた聖地、とはいえ田舎町で、参加者用のテント村なども用意されるけれど、世界中から集まった人を収容するだけの宿泊施設はない。


そんな中、私は仏心寺と言う日本の小さなお寺が併設するゲストハウスで快適に過ごしていた。
たまたまインターネットで見つけて、1年近く前に予約を入れておいたのだ。
もちろんここ以外にもホテルやゲストハウスはあるけれど、予約を入れたところで、そこはインド、あてになんかならない。
でも、日本人のお坊さんは、当たり前だけどちゃんと部屋を確保してくれていた。


メールでやりとりしただけのそのお坊さんに実際会ってみると、ずいぶん若くて驚いた。
このお寺とゲストハウス、それからここで開いている貧しい子たちのための学校の面倒を見るために、年の半分をブッダガヤで過ごしていると聞いて、さらに驚く。


ゲストハウスのみんなで作った晩ご飯を食べる

















カーラチャクラの期間中、他の部屋のチベット人やドミトリーの日本の若い子たちと、晩御飯を一緒に作って食べたり、巡礼に行ったり、阿弥陀様の前でお勤めをしたり。
そんなこんなを、いつも静かに見守ってくれている若いお坊さん。
ブッダガヤは、仏教徒でなくともいるだけで平和な気持ちが溢れる聖地なのだけれど、仏心寺は、そこに集った人たちを、優しく結びつけてくれる、そんな場所だった。


その頃は思ってもみなかったのに、ヨガを始め、さらに少しずつ指導も始めていた頃、お坊さんから連絡をいただいた。
彼のお父さんがご住職をされている日本のお寺でイベントをすることになり、そこでヨガをしてほしいということだった。
それが、3年前の、初めての「テラキテ」だ。


聞いてみると、テラキテのチラシのデザインをされたのも、やはり仏心寺を訪れた方、イベント当日、カレーを販売していた方もそう。
ブッダの聖地でつながった人たちが、日本のお寺でまた集う。
ご縁、というものを感じずにいられない。


その後、月1回定期的にそのお寺でヨガのクラスをさせていただくようになり、またそこでもご縁が広がっている。



ご縁に導かれて、また新たなご縁に出会う。

それが人と人なのだなあと思う。























そして、来月8日、3度目の「テラキテ」。

今年のテーマは『結』。

これまでのご縁を大切に、また次の良きご縁が結ばれますように。



2017年8月28日月曜日

甘いお菓子と生存確認





久しぶりに会った友達がくれた手土産。

くまさんのイラストの黄色いパッケージから、くまさんの形のフィナンシェが出てきた。

一口づつ味わいながら、ぽつぽつと、昔のことを思い出す。




初めて会ったのは高校生のとき。

そのあと、ずっと音信不通だったのが、20代半ばで思わぬ再会をして、でも連絡先も交換しないままだったのに、さらにまた思わぬ場所で再開して、それからは、こうして数年おきに会っている。




改めて考えたことがなかったけれど、ご縁があるのだなあ。




私がビール好きなのを知っているから、自分はほとんど飲めないのに、今回も、ビールをおいしく飲めそうな場所をあれこれ探してくれて、そして私は、遠慮なくそれに乗っかる。




ランチを食べながら、ビールを飲みながら、お互いの好きなものについてたくさん話した。大笑いもした。




でも、過去のことや、未来のことは話さなかった。




いろんな夢を見て、それから、たくさんのものを手放しながら生きてきて、お互い、今にいる。




あの頃とは違う未来への不安と、そんな憂いなどなかったあの頃への懐かしさと。でも、それは口にせず。




この歳になると、たまに会うのは生存確認だよね、って笑う人と、またねと別れた。




優しい甘さの愛らしいくまさんのフィナンシェ。



ごちそうさま。