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2019年2月1日金曜日

からだ、カラダ、身体























自分自身積み重ねてきた練習の中で理解したり発見したりして、

確信を得られたこと。

それから、

これまでの練習仲間や生徒さんたちを観察してきてわかったこと。




ヨガのクラスで伝えることは、

全て、

直接的、或いは間接的な、私の経験ベース。




外から得た知識のみで、

自分自身で確信出来ていないこと、は伝えない。

右から左へ知識を受け渡すだけなら、私はいらないと思うから、

何となくそれを信条にしている。




でも、

経験ベースだと、なかなか出会えないこと、

出会えないけれど知っておきたいことは、

確信を持って教えてくれる先生に学びに行く。







月に1度参加する解剖学のクラス。




1番の目的は、

自分とは違うタイプの身体について知ること、

それから、自分の身体についても、より深く知ること。




学ぶ中で、

経験的に確信していたことが、解剖学の説明と一致すると、

心の中で小躍りしている。



昨日もまた1つ、2つ、と、そんなことがあって、

特に大切だと思っていたことだったから、私の中はお祭り騒ぎ。




興奮気味に家に帰って、

今朝からは、

それらを反芻しつつ、還元しつつ、練習するのがまた楽しい。







いずれ思うように動かなくなり、

最後には消え去る身体。




でも、これ無しでは何も体験できない、大切な乗り物でもある。




私が人のお役に立てることはこれくらいなので、

自分の身体で日々実験しながら、

周りの人が、少しでも長く快適に過ごせるように、

乗り心地よく手入れするお手伝いができればと思う。
















昨日は、まき先生の、解剖学のクラスでした。

本で学べる単なる知識、ではなく、

それを丁寧にご自身の身体に落とし込み、

さらに多くの身体を見てこられた経験を通して生まれた知恵を、

惜しまずシェアしてくださる、有り難い先生です。

次回が今から楽しみ。











2019年1月23日水曜日

すべての人にヨガをオススメしたい理由 その2

青空に向かって深呼吸!























すべての人にヨガをオススメしたい理由 その1 はこちら



身体能力を維持するためだけなら、筋トレをして柔軟体操をすればいいのかもしれない。

でも、私は絶対ヨガをオススメしたい。



その1番の理由が、呼吸。



筋トレや柔軟体操でも、呼吸を指導されることはあると思うけれど、

良い呼吸をするために、この筋トレをしましょう!柔軟性な身体を作りましょう!

ということではないはず。



ヨガは違う。

まず呼吸ありき、なのだ。



ヨガと言えば、いろいろなポーズをとるものというイメージがあるだろう。

ただ、そのポーズを形だけ真似しても、そのポーズは完成しない。

そのポーズをとりながら、かつ、深くスムーズな呼吸が出来て初めて完成したと見なされる。


呼吸抜きのヨガはありえない。



生きる、とは、息をすること。

呼吸が止まることは、命の終わり。



その呼吸の質を高めることは、命の質を高めることに繋がるのだと思う。

そしてそれが出来るのがヨガだということ。




ただ吸って吐くだけなら誰だって出来る、いや、しているはず。

でも、どんな風に?

無意識にしているだけに、自分がどんな呼吸をしているか、みんな知らない。




心肺機能を高めるだけなら、やはり他の運動でも構わない。

実際、どんなスポーツでも身体を使うことでも、レベルの高いプレイヤーほど、呼吸をコントロール出来ているのだろうと思う。



でも、より繊細に、より深く、呼吸を見つめてその質を高めることが出来るのがヨガ。

なぜなら、それこそがヨガの目的だからだ。





私は、ヨガを始める前、長くダンスをしていたのだけれど、ヨガほどではないにせよ、呼吸について注意を受けることがあった。

おかげで呼吸に意識を向けるようになったものの、その結果気づいたのは、日常の自分の呼吸が、浅くて、すぐ途切れて、全くスムーズではないということだった。

ダンスで激しく動いていたので、心肺機能は高められていたはずで、でも、どんなときにも安定した呼吸が出来るかと言えば、そうではなかった。



今の私は、その頃よりかなり年齢が上がっているから、激しいスポーツなどでは疲れやすくなっているかもしれない。

でも、日常動作では圧倒的に、今の方が疲れない。

それは、ヨガのおかげで、平常時の呼吸が深くなったからだと確信している。



そして、

呼吸の質が上がると、

疲れにくくなるだけにとどまらないいいことが、他にもいっぱいある。



それについては、長くなるのでまた次に。




クラスのお知らせです。


月1回、神戸の安養寺さんで開催している朝のヨガクラス、

今週末、1月27日です。

阪神大震災で全壊、その後寄付を集めて数年前に再建された、

歴史はあるけど新しいお寺です。

伝統的な手法を守って建てられた本堂は、

木の香りが漂う素晴らしい空間。

暖房も完備されていますので、安心してご参加ください。

詳細 お寺でヨガしませんか?




2019年1月22日火曜日

すべての人にヨガをオススメしたい理由 たぶんその1

梅。凛々しい、という言葉がよく似合う。























来月89歳になる母の介護をしている。




身体に意識的に動かすことをしてこないと、こうなってしまうのか、ということを、目の当たりにしている。




私が身体を動かすことに関わり続けるのは、もちろん自分が好きだからでもあるけれど、この母を反面教師にしている部分も大いにある。



母は、生涯通して、一切のスポーツ、運動といったことをしたことがない。学生時代は戦争中で、そのあとは親の借金を背負って働き詰めだったので、その頃にそんなことは出来なくて当然だとは思う。


私を子育て中に、膝だか腰だかに不調を感じて、歩かねば、と思い、数年間、新聞集金のパートに出たところまでは良かった。(母は自転車に乗れないので、徒歩で集金に回っていた)


しかし、その後は、月数回、山のお寺にお参りに行くくらいで、歩く以外のことは何もして来なかった。




身体能力は、使っていれば維持、向上も出来るけれど、使わずに放っておくと退化する。さらに、使っていても、加齢で徐々に落ちていく。




ただ、高齢の人でも、定期的に動かせば、ある程度筋力もつくし、柔軟性も上がる。




問題は、

生まれてこのかた身体を意識して動かしてこなかった人は、

脳と身体の連携が良くなくて、

筋力、柔軟性の問題以前に、

思ったように身体を動かせない。

脳の命令が、うまく身体に伝わらない、回路が、途切れているのだと思う。




若い頃、スポーツなどで1度でもこの回路を繋げたことのある人は、

ブランクがあっても、比較的早く回路が復活する。




ブランクなく、継続して身体を動かしている人は、この回路がしっかり繋がっているから、年齢が上がって新しいことにチャレンジしても結構出来たりする。



けれど、

この回路を、高齢になって初めて繋ぐのは、とても難しいし、何をやってもうまく出来なくて、運動を継続しにくくもなる。



(これらのことは全部、ダンスやヨガを長く続けてきた自分自身の経験を通して、

或いは周りの人や生徒さんたちを見てきて、

或いは母を観察してきて、いつしか考えるようになったことだけれど、概ね間違えてはいないと思う。

私は運動生理学などを学んだことがないから、もしかしたらとても基本的なことなのかもしれない。

そちらの観点からの知識がある方、良ければ是非教えてください。)



何にしてもとにかく、


あまり身体を動かしてこなくて、この回路が繋がっていない人は、出来るだけ早く繋げることをした方がいいし、


ある程度繋がっている人は、途切れないように使い続けた方がいい。



気、プラーナ、などと言われるエネルギーのことを書いたけれど、

私が思う気の話 土地編
私が思う気の話 人編


そのようなことに興味がなくても、

身体能力を出来るだけ維持することは考えた方がいい。

年齢が上がると、その低下が更にいろいろな問題に繋がっていく。




そして、そのためにも、ヨガは特にオススメ。


身体をくまなく使って全身の筋力、柔軟性をともに高められ、

さらに呼吸を意識して動くことで、大切な呼吸器の機能も高められる。


ただし、


三日坊主や、数カ月に1回のイベント的参加では、効果は得られないので悪しからず。






2017年10月1日日曜日

他力と自力

マイソールの朝





















何かを習うということは、先生に指導してもらうとはいえ、自分自身が努力をして何かを身に付け、変化していくということだと思う。




でも、皆が皆、そんな覚悟を持ってヨガのクラスに来ているとは限らない。




身体を動かしてもっと健康になりたい。

体重を減らしたい。

身体を柔らかくしたい、筋力を付けたい。

不調を改善したい。

心を落ち着けたい。




何らかの変化を求めてクラスに来ていることはたぶん、共通している。




でも、その変化を起こすのは自分だとはっきり認識している人もいれば、

漠然と、クラスに行けば変化が起こると期待している人もいるのだ。




極端な場合、マッサージを受けに行くような感覚の、全く受け身な人もいる。




そこまででなくても、自分と向き合うことをせずに、ただただ指導に従うだけの人もいる。




ヨガを教え始めた頃、その違いに気付かず、生徒さんと噛み合わないこともあった。







ヨガって、他力じゃなく自力で進めていくもの。

いやヨガだけじゃなく、どんな変化も、結局は自分にしか起こせない。







でも。




ヨガ以前、ダンスをしていた頃の私は、初めからそんな風にわかってたっけ?




ちっとも思い通りにならない身体と、嫌でも向き合うしかなくなって、

身体と向き合えば、心とも向き合うことになって。




他力から自力へ。

右往左往しながらたどり着いたのではなかったっけ。





長い長い道のりのどこかにいる。
そのことは皆同じ。



マイソールスタイルの練習について
http://yukkuritooku.blogspot.jp/2017/09/blog-post.html


2017年9月25日月曜日

マイソール、という練習方法


アシュタンガが生まれた南インド、マイソール市の顔、マイソールパレス


















ヨガのクラス、と聞いて大抵の人が思い浮かべるのは、生徒さんたちの前に先生がいて、先生がしたポーズを生徒全員が真似て、といった光景だろうし、それで概ね間違っていないと言えると思う。




でも、アシュタンガヨガの、本来の練習方法であるマイソールクラスの景色はそれとは違っている。




まず、生徒のやって来る時間がまちまち。

来た人から、黙ってマットを敷いて自分で練習を始める。

先生は、みんなの周りを見て回っていて、自分がポーズをとることはない。




ポーズの順番が全て決まっていて、生徒はそれを覚えて繰り返し練習する。

だから、みんなで一斉に練習する必要も、前で先生にデモンストレーションしてもらう必要もない。




もちろん、最初から皆がポーズの流れを覚えているわけではない。

始めてクラスに来た人は、まず、練習のはじめにすることになっている太陽礼拝を先生から習う。

息を吸いながら両手を挙げて、息を吐きながら上半身を倒して、と、動きと呼吸をひとつひとつ。

それを、繰り返し練習して、自分一人で出来るようになったら、先生が次のポーズを教えてくれる。

それが出来ればまた次のポーズ。

太陽礼拝から始まり、習ったところまでを日々繰り返し練習する。

そのようにしてひとつずつ、出来るポーズが増えていく。







クラスとして変わっている、と思われがちだけれど、実はそんなことは全くない。

私はこれとそっくりなお稽古事を身近に知っている。




私の母は、長らく生花の先生をしていたのだけれど、お稽古日には、生徒さんたちが三三五五やってきてお花を生け、生け上がったお花にそれぞれのアドバイスをもらって、また三三五五帰って行った。今思えばマイソールクラスと全く同じスタイルだ。




本来、先生から生徒への指導というのは、しばしばこんな風に、1人ひとりの違いや習熟度に合わせて、個別に行われていたはずなのだ。




ことヨガとなると、自分で練習を進めないといけないというので、初心者には無理だと思われることが多いのだけれど、実は真逆で、グループクラスのように、周りの人に合わせて動く必要が全くなく、その人の体力、柔軟性、筋力などに合わせて練習が進むから、ヨガをしたことのない人、身体を動かすことに慣れていない人でも問題なく続けられる。




それでも敷居が高い、と感じる人がいる。

それには、その人の、練習や学びへの向き合い方が関係すると思うのだけれど、そのお話はまた次に。



プラクティスについて書いた前回記事
http://yukkuritooku.blogspot.jp/2017/09/blog-post_22.html

2017年9月22日金曜日

プラクティス、とは?

たまにはポーズの写真を。マイソールにて、シルシャーサナ。























ヨガを始めたばかりの頃、スタジオに通いながらも、モヤモヤしていることがあった。




どのクラスを受けても、先生のガイドに従って、毎回違うポーズをするだけ。

始めて習ったうまくできないポーズも、1回して終わり。

次の週に同じクラスに行っても、そのポーズが出てくるとは限らない。




長い間、同じことを何度も繰り返して身に付けていくダンスの練習に馴染んできた私は、違和感でいっぱいだった。




腑に落ちないまま2か月ほど経ったあと、どんなものかもよく知らずに、アシュタンガヨガのクラスに。




毎回同じ順番で決まったポーズを繰り返し練習する。

順番を覚えて、自分で練習を進めていく。

どこへ行っても、先生がいてもいなくても、練習ができるようになる。

練習が、自分のものになる。




そこには慣れ親しんだ、プラクティスの姿があった。

いや、プラクティスってそもそもそういうことのはずではなかったのか。




ようやくモヤモヤが晴れ、その2か月後には、アシュタンガヨガ本来の練習方法であるマイソールクラスに通うようになった。




アシュタンガだけがヨガだというつもりはない、実際そうは思っていない。

でも、練習、プラクティスを続けることがヨガであるとは思っているし、私にとっての練習、プラクティスとは、日々繰り返し積み重ねること以外にない。




そして、そう考える私が、ヨガを始めて間なしに、マイソールクラスに出会えたのは、偶然ではないと信じている。







マイソールクラス、とは?

についてはまた次回。


2017年7月22日土曜日

耳を傾ける























ヨガの練習をしていると、自分の身体の声を聞いて、というアドバイスをよく耳にするし、自分もよく口にする。




大切なことだけれど、自分の身体が今どんな状態なのか感じることって、意識してこなかった人にはとても難しい。




何ができて、何ができないのか。

どこまでならできて、どこから無理なのか。

今日は昨日とどう違うのか。

どこが、なぜ、緊張しているのか。

何が快適で、何が不快なのか。




それがわからないと、自分で自分の面倒を見てあげられない。




でも、私たちの意識はつい外側にばかり向かって行って、自分以外のことに気を取られてしまう。




でもこれって、身体だけのことじゃない。

心も同じ。

私は、身体の声を聞くのは得意だけれど、心の声を聞くのはちょっと苦手だったのかもしれない。

最近、そんなことをよく思う。




自分の内側を感じられるのは自分だけ。

何が起きているのか。どこへ行きたいのか。






耳を澄ませて、傾けて。





2017年6月19日月曜日

アタマとカラダの距離



ヨガ(この場合ポーズの練習という意味)やダンスや、その他のどんなスポーツでも武道でも、身体を使ってすることには、身体でわかる、という感覚が要る。

身体をあまり積極的に使ってこなかった人には、この感覚がない。そんな感覚があることすら知らない。あるいは、忘れてしまっている。

かつて、運動全般得意でなかった私がまさにそうで、18歳でダンスを始めてから、まずこの感覚を知るまでに長い時間がかかった。

でも、身体でわかる、ということを”わかる”ようになってからは、進歩が格段に早くなった。




ヨガを続けていると、時々、かつての私のような人に出会う。そういう人の中には、身体を動かすより、言葉での説明を好む人がいて、頭でわかろうとしているのだな、と思う。

言葉での理解が、身体で”わかる”ことを助けてもくれるのだけれど、言葉で聞いたからといって、それだけですぐに何かができるようになるわけではない。耳で聞いて、頭で理解することと、それを実際に身体でやってみて、その感覚をリアルに感じられることには距離がある。




この距離の存在を知らず、すぐにできないことで、自分には向いていないだとか、無理なんだとか考えてしまう人もいる。

あるいはこの距離にも個人差があるから、他の人と比べて落胆したり。

または、頭でわかっただけで、できていると勘違いしてしまったり。




全部、かつての自分のことだけれど。




じゃあ、どうすれば良いか。




その距離の間を、継いでくれるのが練習。身体を使ってトライアンドエラーを繰り返して、ある時ついに、言葉で聞いて頭で理解したことを、身体レベルで”わかる”ようになる。




身体を使うことに慣れている人はみんなこのことを知っている。




つまり、

つべこべ言わずに身体を動かす、とにかくやってみる。

できなければ、練習、練習、練習。




特にそれまで頭で考えることが先行しがちだった人にとっては、この切り替えが難しいことも、経験上よくわかる。

だからこそ、そのお手伝いができればいいなとも思う。




聞いただけで何かができるようになる、魔法の呪文なんてなくて。



でも、やり続けることが、魔法を超える美しい時間を、与えてくれたりもするから。