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2019年2月9日土曜日

引っかかった言葉

先日お参りした清荒神さんの滝






















誰かに言った言葉、

送ったメッセージや、SNSでしたコメント。



もう取り消せない言葉のことが後から引っかかって、



あんなこと書いてよかったのかな、とか、

他の言い方にすればよかった、とか、



ぐるぐる、ずるずる、いつまでも考え続けてることがたまにある。



ふと、

どうしてそんなに引きずるのかと、よくよく自問してみたら、



そういうときの私は、


相手がその言葉をどう受け取ったか、

相手に不快な思いをさせてしまっていないか、

と、一見相手のことを思い遣ってるようで、


実は、


そのせいで相手からの、

私自身に対する見方、評価が下がることを心配している。


つまり、考えてるのは相手のことじゃなく自分のこと。



でも、相手の気持ちは見えないから、


失礼だと思われたかもしれない、

いや、そんなこと気にしない人なんじゃないか、

いやいやでもやっぱり…などと、堂々めぐりして、終わりがない。


もし、


自分への評価じゃなく、

相手の気持ちに思いを向けていたら。



不愉快な思いをさせたていたらごめんなさい、と、謝ることも出来るし、

相手に伝えなくても、

次はこうならないように気をつけよう、と心に決めることで、

いつまでも、相手がどう思ったのかをぐるぐる考え続けなくて済む。


つまり、相手がどうかじゃなく自分がどうあるか。




今度また、ぐるぐる堂々巡りが始まったら、

あ、私、相手の気持ちじゃなく、相手からの評価を気にしてるな、

と、警戒しよう。

















2019年2月5日火曜日

新年とサンカルパと残りの時間

ラサのチベット寺院のバターで作った飾りもの
























昨日は立春。

今日は旧暦のお正月。

それから、旧暦とはちょっと違うのだけれど、

今年はチベット暦でも今日が元旦、ロサル。




節目になるこの時期に、

練習中感じたこともあって、

剥がれ落ちた朝



改めて、

どうありたいのか、を、丁寧に見定めるのって大事だなと思う。




そうでないと、

自分の思う方に進んでいるつもり、で、

実は、本当に望んでいることとは無関係だったり、

むしろ真逆だったりするような、

どうでもいいことに、

つい時間を費やしてしまう。




まあ、人ってそんなもの。




なんだろうけれど、

そんなこと言ってると、あっという間に今生が終了してしまうので、

くだらない、と後で思うようなことはもうできるだけしたくない。




ちょうどこの前のサンスクリット語の勉強会で、

サンカルパのことが話題になった。




サンカルパというのは、何か行為をするときに、

どんな目的のために、何をするのか、言葉にしてはっきりさせることだそう。




どこに行きたいのかがはっきりすれば、何に乗ってどう行けばいいのかわかる。




すごくシンプルなことなのに、今までしてこなかった。




これからは、ひとつひとつ、サンカルパして、即行動、かな。




どれだけあるか知らないけれど、

貴重な残りの時間、無駄にせず使いきれますように。





2019年1月25日金曜日

私が考えていることは本当に私が考えたことなのか

自由なようで自由じゃないことを知っていたい





















昨日、
ホラー映画で爆笑して何が悪い

と書いたのだけれど、



例えばある映画を見て、とても感動したとして、

100%、自分の感覚でそう感じたと言えるかといえば、実はなかなか難しいと思う。



センスがいいと思っている友達が絶賛していたとか、

芸能人がこぞって褒め称えていたとか、

そんな情報で、感動センサーが敏感になっていたかもしれない。

もっと言えば、

主人公の行動が、私たちの社会では好ましいと思われているものだったから感動できたのであって、

全く違う価値観の社会にいれば、感動どころか不快に感じたかもしれない。




私たちの行動や思考は、

生きてきた社会、今生きている社会から、全く自由じゃない。



生まれ持った性質だと思っていることですら、

その社会で育つうちに身につけたものであったりする。




そこから完全に自由になることはありえないのだけれど、

何にどう縛られているのかに気づいていたい、

そして、縛られなくて済むものからは離れていたい。




知らないうちに何かわからないものに絡め取られて生きるのは嫌だと思う。




明日は心待ちにしているチベット仏教の勉強会。
場所はいつもヨガのクラスをさせていただいている安養寺さん。

自分の生活に取り入れられることが学べたらいいな。





2019年1月20日日曜日

私が思う気の話 土地編

チベット、ラサのポタラ宮


















気、とか、プラーナ、とか、

呼び方はなんでもいいけれど、

何かしらエネルギーの流れを私たちはみんな持っていて、

それは、他の生き物も、木や石や土地も同じで、

お互いにそれを感じたり与えたり受け取ったりしている。




見えないものは信じないという人もいるだろうから、

何を根拠に、と言われるかもしれないけれど、

確かにそんなエネルギーを感じている人は、私に限らずたくさんいて、




今外で鳴いているネコがそこにいるように、

今手に持っているコーヒーカップがここにあるように、



確かに感じるのだから、あるものはある、としか言えない。




昨日、お参りの話を書いたけれど、

お寺や神社は、

そんなエネルギーの流れの良い場所に建っているから、

信仰心がなくても、そこへ行くことで元気になれる。

あるいは、その元気にしてくれるチカラこそが、神様だとも言える。




私が知っている中で1番パワフルな場所はチベットのラサだ。

そこにいるだけで、身体にエネルギーが溢れて、気分が高揚する。

元々の大きな土地のエネルギーに、多くの人々が惹きつけられて巡礼にやってくる、その祈りのパワーが積み重なって、さらにエネルギーを強くする。

聖地とは、そういう場所なのだと思う。




ラサにはなかなか行けそうにないけれど、




お気に入りのお寺や神社に行っては、良い気をいただいてくる。

自然の中にある、大きな木や石に触れてチカラをもらう。

自力では整えきれない自分のエネルギーを、そういうところで助けてもらって整えている。



次は氣の話、人編





2019年1月19日土曜日

お参りは愉しい

奈良県生駒市、宝山寺大黒堂前からの眺め。






月に1度、家族3人揃ってお参りするのが決まりだった。





日曜の朝、突然、母が今日はお参りに行くと宣言すると、のんびり休日を過ごすつもりだったはずの父も絶対逆らえず、必ず行くしかないのだった。





正直、楽しいお出かけではなかった。





寒くても暑くても、山の中腹に点々とあるお堂にお線香とお賽銭を備え、手を合わせながら、奥の院の先にある大黒堂まで登る。最後はお堂の周りを100回周るお百度を踏んで、ようやく帰路。

特に冬場は、今よりもっと寒かったから、手先足先が凍えて、本当に辛かった。





行き帰りに楽しい寄り道があるということもなく、特にお正月のお参りの時など、どちらかと言えば参道の屋台がメインらしい家族連れなどを、恨めしく眺めていた。






いつの頃からか、私は1人でお参りするようになり、父も他界して、それからもずいぶんと時間が経った。家族揃ってのお参りだけでなく、月に3回は通い、お堂のお手伝いまでしていた母も、自力で行けなくなって久しい。






私だけが、あの気乗りしなかった月1回のお参りを、誰に強制されるわけでもないのに、律儀に続けている。






それも、嬉々として。






今なら、なぜ母が月3度も通ったのかがよくわかる。






今日は久しぶりに大黒堂でお百度を踏んだ。


真言を唱えながら100回周る間、もう昔のように、早く終わればいいのに、とは思わない。






身体中の無駄な力が抜けて、お線香の香りが深く染み込んでいくのを味わいながら、大きなチカラに包まれる安心感の中で過ごす時間。


終われば何もかもニュートラルに戻っていて、ああまた来よう、そう思いながら山を下りる。






疲れたら、ただそこに行けばいい。


そんな場所を持てていることのありがたさを噛みしめ、そのご縁をくれた母にも、感謝を感じながら。








2017年9月16日土曜日

ご縁が繋がるところ

ブッダガヤのお釈迦様が悟りを開かれた
場所に立つマハーボディ寺院






















2011年の暮れから2012年の年明けにかけて、ダライ・ラマ法王のカーラチャクラ灌頂に集まった人々で大混雑するブッダガヤにいた。
お釈迦様が悟りを開かれた聖地、とはいえ田舎町で、参加者用のテント村なども用意されるけれど、世界中から集まった人を収容するだけの宿泊施設はない。


そんな中、私は仏心寺と言う日本の小さなお寺が併設するゲストハウスで快適に過ごしていた。
たまたまインターネットで見つけて、1年近く前に予約を入れておいたのだ。
もちろんここ以外にもホテルやゲストハウスはあるけれど、予約を入れたところで、そこはインド、あてになんかならない。
でも、日本人のお坊さんは、当たり前だけどちゃんと部屋を確保してくれていた。


メールでやりとりしただけのそのお坊さんに実際会ってみると、ずいぶん若くて驚いた。
このお寺とゲストハウス、それからここで開いている貧しい子たちのための学校の面倒を見るために、年の半分をブッダガヤで過ごしていると聞いて、さらに驚く。


ゲストハウスのみんなで作った晩ご飯を食べる

















カーラチャクラの期間中、他の部屋のチベット人やドミトリーの日本の若い子たちと、晩御飯を一緒に作って食べたり、巡礼に行ったり、阿弥陀様の前でお勤めをしたり。
そんなこんなを、いつも静かに見守ってくれている若いお坊さん。
ブッダガヤは、仏教徒でなくともいるだけで平和な気持ちが溢れる聖地なのだけれど、仏心寺は、そこに集った人たちを、優しく結びつけてくれる、そんな場所だった。


その頃は思ってもみなかったのに、ヨガを始め、さらに少しずつ指導も始めていた頃、お坊さんから連絡をいただいた。
彼のお父さんがご住職をされている日本のお寺でイベントをすることになり、そこでヨガをしてほしいということだった。
それが、3年前の、初めての「テラキテ」だ。


聞いてみると、テラキテのチラシのデザインをされたのも、やはり仏心寺を訪れた方、イベント当日、カレーを販売していた方もそう。
ブッダの聖地でつながった人たちが、日本のお寺でまた集う。
ご縁、というものを感じずにいられない。


その後、月1回定期的にそのお寺でヨガのクラスをさせていただくようになり、またそこでもご縁が広がっている。



ご縁に導かれて、また新たなご縁に出会う。

それが人と人なのだなあと思う。























そして、来月8日、3度目の「テラキテ」。

今年のテーマは『結』。

これまでのご縁を大切に、また次の良きご縁が結ばれますように。