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2019年2月9日土曜日

引っかかった言葉

先日お参りした清荒神さんの滝






















誰かに言った言葉、

送ったメッセージや、SNSでしたコメント。



もう取り消せない言葉のことが後から引っかかって、



あんなこと書いてよかったのかな、とか、

他の言い方にすればよかった、とか、



ぐるぐる、ずるずる、いつまでも考え続けてることがたまにある。



ふと、

どうしてそんなに引きずるのかと、よくよく自問してみたら、



そういうときの私は、


相手がその言葉をどう受け取ったか、

相手に不快な思いをさせてしまっていないか、

と、一見相手のことを思い遣ってるようで、


実は、


そのせいで相手からの、

私自身に対する見方、評価が下がることを心配している。


つまり、考えてるのは相手のことじゃなく自分のこと。



でも、相手の気持ちは見えないから、


失礼だと思われたかもしれない、

いや、そんなこと気にしない人なんじゃないか、

いやいやでもやっぱり…などと、堂々めぐりして、終わりがない。


もし、


自分への評価じゃなく、

相手の気持ちに思いを向けていたら。



不愉快な思いをさせたていたらごめんなさい、と、謝ることも出来るし、

相手に伝えなくても、

次はこうならないように気をつけよう、と心に決めることで、

いつまでも、相手がどう思ったのかをぐるぐる考え続けなくて済む。


つまり、相手がどうかじゃなく自分がどうあるか。




今度また、ぐるぐる堂々巡りが始まったら、

あ、私、相手の気持ちじゃなく、相手からの評価を気にしてるな、

と、警戒しよう。

















2019年1月25日金曜日

私が考えていることは本当に私が考えたことなのか

自由なようで自由じゃないことを知っていたい





















昨日、
ホラー映画で爆笑して何が悪い

と書いたのだけれど、



例えばある映画を見て、とても感動したとして、

100%、自分の感覚でそう感じたと言えるかといえば、実はなかなか難しいと思う。



センスがいいと思っている友達が絶賛していたとか、

芸能人がこぞって褒め称えていたとか、

そんな情報で、感動センサーが敏感になっていたかもしれない。

もっと言えば、

主人公の行動が、私たちの社会では好ましいと思われているものだったから感動できたのであって、

全く違う価値観の社会にいれば、感動どころか不快に感じたかもしれない。




私たちの行動や思考は、

生きてきた社会、今生きている社会から、全く自由じゃない。



生まれ持った性質だと思っていることですら、

その社会で育つうちに身につけたものであったりする。




そこから完全に自由になることはありえないのだけれど、

何にどう縛られているのかに気づいていたい、

そして、縛られなくて済むものからは離れていたい。




知らないうちに何かわからないものに絡め取られて生きるのは嫌だと思う。




明日は心待ちにしているチベット仏教の勉強会。
場所はいつもヨガのクラスをさせていただいている安養寺さん。

自分の生活に取り入れられることが学べたらいいな。





2019年1月24日木曜日

ホラー映画で爆笑して何が悪い

これはホラー映画じゃないよ























カットに行ってきたのだけれど、2時間半近く時間がかかった。

なぜなら、美容師さんと話が盛り上がりすぎて、

何度も爆笑していたからだった。



毎回、私が興味を持ちそうな話題を振ってくれて、

調子に乗って私が話す、あまり一般的ではないような、

マニアックな話も興味を持って聞いてくれるので、

あっという間に時間が過ぎる。



もちろん、

お客さんである私に合わせてくれているとは思うけれど、

どうも、物事をちょっと違う角度から見てみる、

という共通の癖があるらしい。



多くの人が感動して泣いたという映画で、

全く感動ポイントが分からず、

自分はどこかおかしいのだろうかとさえ思った、

という美容師さんの話がそもそもの始まり。




実は私もしばしばそういうことがあって、

周りと違う、あるいは、製作者の意図と全然違う反応をしてしまったときのことをお互いいろいろ思い出した。




ホラー映画の、みんながきゃーっと叫んで怖がるところで、ちっとも恐くなくて、むしろとても滑稽に見えて爆笑してしまう。

恋愛映画のクライマックスで、ありえない設定がやはり滑稽に見えて笑ってしまう。

感動モノの映画も、いかにも過ぎる演出にうんざりして冷めてしまう。




美容師さんが昔映画館で見たホラー映画で大笑いした話をしてくれて、

私にもその内容はコントのようにしか聞こえず、

大声で笑ってしまったのだった。




こうして書いていてわかってきたのだけれど、

つまり、こう感じなさい、と、押し付けられることに違和感を覚えてしまうのだと思う。




美容師さんが最後の方で、

これって結局KYってことですかね?

と言ったけれど、




そんなところで空気読まなくていいと思うのだ。

何をどう感じるかなんて人それぞれなのに、

周りと同じ反応をしなきゃ、なんて必要ない。

作り手の指示どうりの感想を持たなきゃいけない理由もない。




映画に限らず、

ちょっと面倒臭いけど、

従順すぎないものの見方、私は大事だと思ってる。





とはいえ、

あまりの大声で周りの人の感動を妨げないようには気をつけようと思うけれど、

ちょっとずれたところで、ずれた反応をしていても、

暖かく見守ってください。