最寄駅から置いてあった自転車に乗って家に向かう。
ヨガの大先輩から、彼女がインドの先生から学んだことをシェアしてもらった帰り道。
テーマであったアヴィヤーサ(無執着)についてのお話が一旦終わったあと、話題がカルマヨガになったことを思い出していた。
自分に与えられたことを、何も期待せず、報いを求めず、結果を問わずにやり抜くのがカルマヨガ。
ここでもやっぱり無執着が鍵なのだなあ、などとぼんやり考えながらペダルを漕ぐ。
駅の周りの商業地域から、家々の並ぶエリアへ入っていく。私にとって日常そのものの空間に戻ったそのときだった。不意に、カルマヨガの意味が、ストンと腑に落ちた。
今の私にとってのカルマヨガは、日常のあれこれを、歓びながら、熱心に行うこと。
バガヴァッド・ギーターを読んだり、今日のようなお話を聞いたりして、そんなことはわかっているつもりだった。でもそれは頭の中でだけだったのだと気づく。
だから、実際には、日常のあれこれに時間を取られることに、どこか不満を持っていたことにも。
それが自分の望むことであれ、そうせざるをえないことであれ、日々のことを、ただただ大切にする。
それまで、言葉のみであったものが、全身を包む感覚になって、みぞおちのあたりがふっと軽くなったのがわかった。
住宅街の片隅に今も少しだけ残っている田んぼに田植えをするおじさん、その脇の道で犬を散歩させているおばあさん。
みんなカルマヨガをしてるんだなあ。
軽くなった心と身体で、一人勝手に納得して、家の手前の最後の角を曲がる。
そのあとの夕焼けは、いつもより色鮮やかだった。
ヨガの大先輩から、彼女がインドの先生から学んだことをシェアしてもらった帰り道。
テーマであったアヴィヤーサ(無執着)についてのお話が一旦終わったあと、話題がカルマヨガになったことを思い出していた。
自分に与えられたことを、何も期待せず、報いを求めず、結果を問わずにやり抜くのがカルマヨガ。
ここでもやっぱり無執着が鍵なのだなあ、などとぼんやり考えながらペダルを漕ぐ。
駅の周りの商業地域から、家々の並ぶエリアへ入っていく。私にとって日常そのものの空間に戻ったそのときだった。不意に、カルマヨガの意味が、ストンと腑に落ちた。
今の私にとってのカルマヨガは、日常のあれこれを、歓びながら、熱心に行うこと。
バガヴァッド・ギーターを読んだり、今日のようなお話を聞いたりして、そんなことはわかっているつもりだった。でもそれは頭の中でだけだったのだと気づく。
だから、実際には、日常のあれこれに時間を取られることに、どこか不満を持っていたことにも。
それが自分の望むことであれ、そうせざるをえないことであれ、日々のことを、ただただ大切にする。
それまで、言葉のみであったものが、全身を包む感覚になって、みぞおちのあたりがふっと軽くなったのがわかった。
住宅街の片隅に今も少しだけ残っている田んぼに田植えをするおじさん、その脇の道で犬を散歩させているおばあさん。
みんなカルマヨガをしてるんだなあ。
軽くなった心と身体で、一人勝手に納得して、家の手前の最後の角を曲がる。
そのあとの夕焼けは、いつもより色鮮やかだった。
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