2017年8月28日月曜日

甘いお菓子と生存確認





久しぶりに会った友達がくれた手土産。

くまさんのイラストの黄色いパッケージから、くまさんの形のフィナンシェが出てきた。

一口づつ味わいながら、ぽつぽつと、昔のことを思い出す。




初めて会ったのは高校生のとき。

そのあと、ずっと音信不通だったのが、20代半ばで思わぬ再会をして、でも連絡先も交換しないままだったのに、さらにまた思わぬ場所で再開して、それからは、こうして数年おきに会っている。




改めて考えたことがなかったけれど、ご縁があるのだなあ。




私がビール好きなのを知っているから、自分はほとんど飲めないのに、今回も、ビールをおいしく飲めそうな場所をあれこれ探してくれて、そして私は、遠慮なくそれに乗っかる。




ランチを食べながら、ビールを飲みながら、お互いの好きなものについてたくさん話した。大笑いもした。




でも、過去のことや、未来のことは話さなかった。




いろんな夢を見て、それから、たくさんのものを手放しながら生きてきて、お互い、今にいる。




あの頃とは違う未来への不安と、そんな憂いなどなかったあの頃への懐かしさと。でも、それは口にせず。




この歳になると、たまに会うのは生存確認だよね、って笑う人と、またねと別れた。




優しい甘さの愛らしいくまさんのフィナンシェ。



ごちそうさま。





2017年7月22日土曜日

耳を傾ける























ヨガの練習をしていると、自分の身体の声を聞いて、というアドバイスをよく耳にするし、自分もよく口にする。




大切なことだけれど、自分の身体が今どんな状態なのか感じることって、意識してこなかった人にはとても難しい。




何ができて、何ができないのか。

どこまでならできて、どこから無理なのか。

今日は昨日とどう違うのか。

どこが、なぜ、緊張しているのか。

何が快適で、何が不快なのか。




それがわからないと、自分で自分の面倒を見てあげられない。




でも、私たちの意識はつい外側にばかり向かって行って、自分以外のことに気を取られてしまう。




でもこれって、身体だけのことじゃない。

心も同じ。

私は、身体の声を聞くのは得意だけれど、心の声を聞くのはちょっと苦手だったのかもしれない。

最近、そんなことをよく思う。




自分の内側を感じられるのは自分だけ。

何が起きているのか。どこへ行きたいのか。






耳を澄ませて、傾けて。





2017年6月19日月曜日

アタマとカラダの距離



ヨガ(この場合ポーズの練習という意味)やダンスや、その他のどんなスポーツでも武道でも、身体を使ってすることには、身体でわかる、という感覚が要る。

身体をあまり積極的に使ってこなかった人には、この感覚がない。そんな感覚があることすら知らない。あるいは、忘れてしまっている。

かつて、運動全般得意でなかった私がまさにそうで、18歳でダンスを始めてから、まずこの感覚を知るまでに長い時間がかかった。

でも、身体でわかる、ということを”わかる”ようになってからは、進歩が格段に早くなった。




ヨガを続けていると、時々、かつての私のような人に出会う。そういう人の中には、身体を動かすより、言葉での説明を好む人がいて、頭でわかろうとしているのだな、と思う。

言葉での理解が、身体で”わかる”ことを助けてもくれるのだけれど、言葉で聞いたからといって、それだけですぐに何かができるようになるわけではない。耳で聞いて、頭で理解することと、それを実際に身体でやってみて、その感覚をリアルに感じられることには距離がある。




この距離の存在を知らず、すぐにできないことで、自分には向いていないだとか、無理なんだとか考えてしまう人もいる。

あるいはこの距離にも個人差があるから、他の人と比べて落胆したり。

または、頭でわかっただけで、できていると勘違いしてしまったり。




全部、かつての自分のことだけれど。




じゃあ、どうすれば良いか。




その距離の間を、継いでくれるのが練習。身体を使ってトライアンドエラーを繰り返して、ある時ついに、言葉で聞いて頭で理解したことを、身体レベルで”わかる”ようになる。




身体を使うことに慣れている人はみんなこのことを知っている。




つまり、

つべこべ言わずに身体を動かす、とにかくやってみる。

できなければ、練習、練習、練習。




特にそれまで頭で考えることが先行しがちだった人にとっては、この切り替えが難しいことも、経験上よくわかる。

だからこそ、そのお手伝いができればいいなとも思う。




聞いただけで何かができるようになる、魔法の呪文なんてなくて。



でも、やり続けることが、魔法を超える美しい時間を、与えてくれたりもするから。





2017年6月18日日曜日

カルマヨガと夕焼け
















最寄駅から置いてあった自転車に乗って家に向かう。

ヨガの大先輩から、彼女がインドの先生から学んだことをシェアしてもらった帰り道。

テーマであったアヴィヤーサ(無執着)についてのお話が一旦終わったあと、話題がカルマヨガになったことを思い出していた。

自分に与えられたことを、何も期待せず、報いを求めず、結果を問わずにやり抜くのがカルマヨガ。

ここでもやっぱり無執着が鍵なのだなあ、などとぼんやり考えながらペダルを漕ぐ。




駅の周りの商業地域から、家々の並ぶエリアへ入っていく。私にとって日常そのものの空間に戻ったそのときだった。不意に、カルマヨガの意味が、ストンと腑に落ちた。




今の私にとってのカルマヨガは、日常のあれこれを、歓びながら、熱心に行うこと。




バガヴァッド・ギーターを読んだり、今日のようなお話を聞いたりして、そんなことはわかっているつもりだった。でもそれは頭の中でだけだったのだと気づく。

だから、実際には、日常のあれこれに時間を取られることに、どこか不満を持っていたことにも。




それが自分の望むことであれ、そうせざるをえないことであれ、日々のことを、ただただ大切にする。

それまで、言葉のみであったものが、全身を包む感覚になって、みぞおちのあたりがふっと軽くなったのがわかった。




住宅街の片隅に今も少しだけ残っている田んぼに田植えをするおじさん、その脇の道で犬を散歩させているおばあさん。

みんなカルマヨガをしてるんだなあ。




軽くなった心と身体で、一人勝手に納得して、家の手前の最後の角を曲がる。

そのあとの夕焼けは、いつもより色鮮やかだった。














2017年5月15日月曜日

犀の角のように





大乗仏教の、できる限り他者を助けなさいという考え方が好きで、
だからいつも、人との関わりの中で自分にできることがあるなら、歓んでしたいと思っている。

でも、

ときに、ただ相手に都合よく使われ、磨り減ってしまうこともある。
と言って、自分の身を守ろうと、自分の利益になる関係だけを選ぶ、というのは違う。

いつも、この2つの間でゆらゆらしてきた。



『犀の角のようにただ独り歩め』

「ブッダのことば」第1章の「犀の角」で、修行者のあるべき姿を示しながら、繰り返されるフレーズ。
独り歩め、と言いながら、真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ、とも言う。

一見矛盾があるように見えることばたちを噛みしめながら読んでいたとき、すっとどこからか聞こえてきた声があった。

「良き友のためにこそ、尽くしなさい」


私の力は些細なもの、時間は限られたもの。
身の丈を知れば、誰とどう過ごすべきなのか、自ずと見えてくるのかもしれない。

そして、

誰といても、私は私として、流されない、信頼できる自分であることが大切。
犀の角であれるように。


2017年5月10日水曜日

ブッダ・プルニマに



ダライ・ラマの本などは読んでいるけれど、シンプルなブッダの言葉にこれまで触れたことがなかった。中村元さんの訳も初めてだ。


もう少しスラスラと読めるかと思っていたら、本の厚みの半分近くが訳者の註で、原文のパーリ語でなんと表現されているかを交えながら、翻訳面の解説、哲学面の解説が入り混じっている。本文と註を行ったり来たり、なかなか進まない。


でも、これが予想外の面白さだった。


ヨガの哲学や、その背後にあるインドの哲学、それからサンスクリット語を、うっすらではあるけれど学んできた今だから、その中で聴きかじったサンスクリット語と似た言葉を見つけ、それが仏教の教えの中でどのように扱われているかを知ることに、心が躍る。


5年前だったら面白いどころか、うんざりしてたかもしれない。


チベット仏教の本を読んでいたから、ヨガ・スートラやバガヴァッド・ギーターを読んだとき、とても理解しやすかった。


そして、それらを読んだから今、この本が面白い。


いつも、ものごとは正しい順番でやってきているのかもしれない。
日々の小さなことについ気をとられて、見逃してしまったりもするけれど。


気付けば今日は、インドでゴータマ・ブッダの誕生日が祝われる、ブッダ・プルニマの日。






2017年4月23日日曜日

「何も心配しなくていい。」



「何も心配しなくていい。」

時々思い出す、安養寺のご住職の言葉。
今朝もふと思い出し、そしてその通りになった。
昨日の憂鬱の種が、洗い流されたように綺麗に取り除かれて。
必要なものはやってくる。そうでないものは去っていく。

寄り添ってくれる全ての人に感謝。



今日はその安養寺で、月1回のヨガの日。
多くはないけれどリピートしてくださる人が出てきて、ありがたい。



ヨガのあと、いつものように参加してくれたメンバー数人とモーニング。
何となく、同じ空気感の人が集まって、誰もが自然に、無理なくそこにいる感じ。

こういう時間を、積み重ねていきたい。


次回は5月14日。