2017年5月15日月曜日

犀の角のように





大乗仏教の、できる限り他者を助けなさいという考え方が好きで、
だからいつも、人との関わりの中で自分にできることがあるなら、歓んでしたいと思っている。

でも、

ときに、ただ相手に都合よく使われ、磨り減ってしまうこともある。
と言って、自分の身を守ろうと、自分の利益になる関係だけを選ぶ、というのは違う。

いつも、この2つの間でゆらゆらしてきた。



『犀の角のようにただ独り歩め』

「ブッダのことば」第1章の「犀の角」で、修行者のあるべき姿を示しながら、繰り返されるフレーズ。
独り歩め、と言いながら、真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ、とも言う。

一見矛盾があるように見えることばたちを噛みしめながら読んでいたとき、すっとどこからか聞こえてきた声があった。

「良き友のためにこそ、尽くしなさい」


私の力は些細なもの、時間は限られたもの。
身の丈を知れば、誰とどう過ごすべきなのか、自ずと見えてくるのかもしれない。

そして、

誰といても、私は私として、流されない、信頼できる自分であることが大切。
犀の角であれるように。


2017年5月10日水曜日

ブッダ・プルニマに



ダライ・ラマの本などは読んでいるけれど、シンプルなブッダの言葉にこれまで触れたことがなかった。中村元さんの訳も初めてだ。


もう少しスラスラと読めるかと思っていたら、本の厚みの半分近くが訳者の註で、原文のパーリ語でなんと表現されているかを交えながら、翻訳面の解説、哲学面の解説が入り混じっている。本文と註を行ったり来たり、なかなか進まない。


でも、これが予想外の面白さだった。


ヨガの哲学や、その背後にあるインドの哲学、それからサンスクリット語を、うっすらではあるけれど学んできた今だから、その中で聴きかじったサンスクリット語と似た言葉を見つけ、それが仏教の教えの中でどのように扱われているかを知ることに、心が躍る。


5年前だったら面白いどころか、うんざりしてたかもしれない。


チベット仏教の本を読んでいたから、ヨガ・スートラやバガヴァッド・ギーターを読んだとき、とても理解しやすかった。


そして、それらを読んだから今、この本が面白い。


いつも、ものごとは正しい順番でやってきているのかもしれない。
日々の小さなことについ気をとられて、見逃してしまったりもするけれど。


気付けば今日は、インドでゴータマ・ブッダの誕生日が祝われる、ブッダ・プルニマの日。