大乗仏教の、できる限り他者を助けなさいという考え方が好きで、
だからいつも、人との関わりの中で自分にできることがあるなら、歓んでしたいと思っている。
でも、
ときに、ただ相手に都合よく使われ、磨り減ってしまうこともある。
と言って、自分の身を守ろうと、自分の利益になる関係だけを選ぶ、というのは違う。
いつも、この2つの間でゆらゆらしてきた。
『犀の角のようにただ独り歩め』
「ブッダのことば」第1章の「犀の角」で、修行者のあるべき姿を示しながら、繰り返されるフレーズ。
独り歩め、と言いながら、真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ、とも言う。
一見矛盾があるように見えることばたちを噛みしめながら読んでいたとき、すっとどこからか聞こえてきた声があった。
「良き友のためにこそ、尽くしなさい」
「ブッダのことば」第1章の「犀の角」で、修行者のあるべき姿を示しながら、繰り返されるフレーズ。
独り歩め、と言いながら、真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ、とも言う。
一見矛盾があるように見えることばたちを噛みしめながら読んでいたとき、すっとどこからか聞こえてきた声があった。
「良き友のためにこそ、尽くしなさい」
私の力は些細なもの、時間は限られたもの。
身の丈を知れば、誰とどう過ごすべきなのか、自ずと見えてくるのかもしれない。
そして、
誰といても、私は私として、流されない、信頼できる自分であることが大切。
身の丈を知れば、誰とどう過ごすべきなのか、自ずと見えてくるのかもしれない。
そして、
誰といても、私は私として、流されない、信頼できる自分であることが大切。
犀の角であれるように。