50年、生花を教えていた母。 |
88歳の母と、一人っ子の私。
表向きは、いつもニコニコ穏やかで愛らしい母と、その面倒をよく見る愛想のいい娘、ということになっている。たぶん。
もちろん、現実はそんなに美しくない。
ふわふわした見かけとまるで違って、一人で親の借金を返済し、家を買い、姪甥の面倒まで見てきた、昭和一桁生まれの母の強さたるや相当なもの。自分の成し遂げてきたことに絶大な自信を持っているから、自分の望むように生きれば娘も幸せであると信じて疑わなかった。
私のすること、選ぶもの、全てが気に入らない。そればかりか、全力で阻止してくる。私の人生は、この母との葛藤の日々だった。ようやく私は私であることを認めさせた時には、母は、少しずつ私の助けを要する状態になっていて、別の意味で私の人生を左右する存在になった。
言いたいことの1つや2つ、どころか100や200はあるけれど、もうそんな言葉は届かないところに行ってしまった母。
やりたい放題やって逃げられたようで、どこか腑に落ちない。でも、何か言ってみたところで今さら何が変わるわけでもない。母に何かしら伝わるとも思えない。
それどころか、もう私無しでは生きられない母に負の感情を抱くことは、罪悪感になって跳ね返って来さえする。
だからあれこれ考えないように淡々と暮らしているつもりだった。
常に母を最優先にするその熱心さを自分で不思議に思いながらも。
でも、そうして何年も過ごして、
とうとう、気がついたことがある。
甲斐甲斐しく付き添う笑顔や、やれやれしょうがないというため息のずっと奥に、
私が私であることを認められないままでいる、私自身がいたのではなかったか。いつもどこかに、母に言われ続けたように私は何かしら間違っていて、不十分な人間だという意識と、それゆえの後ろめたさがあったのではないか。
そんな意識があること、そしてそれがどれほど自分を縛っていたかに気づき始めたとき、感情がひどく波打って、今までと同じように母と向き合うことが難しくなった。
どんなことも、母のせいにするつもりはない。この身に起きることは全て私ゆえだと、これは仏教やヨガから学んだ大切なこと。おかげで、人や状況をとことん恨むようなことはしないで済む。それでも、時々襲ってくる強烈な苛立ちを、正直持て余した。
そんなあれこれを全部、今日、ここで認めてあげようと思う。思うことは限りなくあっても、なんとか母と暮らす自分、それでもやっぱり、元気でいてほしいと願い、笑ってくれれば嬉しいと思う自分を、まあよくやってるんじゃない、と認めてあげようと思う。
何度目かの、母の入院を前に。