2018年9月27日木曜日

モヤモヤ期

内容がモヤモヤなのですっきりな写真を。

















そもそも疑問を持ったのは、ヨガのルーツ的なこと。

まことしやかにヨガ哲学なるものが語られているけれど、実は幾つかのものが混ざって、混乱している模様。

では何がどこでどう混ざって、混ざった上で整合性を持って統合されているのか、それともただ本当は無関係なものが同じものとして語られてしまっているのか、それとも…

あるときからそんなモヤモヤが始まって、それ以来ずっとそのモヤモヤを追いかけ回している。

おかげで少し見えてきたけれど。




面倒な奴だと思う人は思うだろうけど、

気になるものは気になる。




その問いは、何を求めて、目指して、ヨガをするのか、ということにつながって、その先の、何を目指して生きるのかということにもつながるから。




ますます面倒、というか、いい歳して若造のようだけれど、

でもいい歳だから考えてしまうんだと思う。




少なくとも、

呼吸に意識を向けながら身体を使ってポーズをとることに良い効果がたくさんあるのは身を以て知っている。
その狭い意味においてのヨガは、たくさんの人の役に立つとわかっているから、自分の練習はもちろん続けるし、教えることは楽しい。




でも、身を以て知っている効果の先に、果たして何があるのか、それは自分が生きていく上で大切にしたいことをどこまで助けてくれるのだろうかと考える。



そして、自分が大切にしたいことってなんだったっけと改めて考える。




2018年9月19日水曜日

沈黙の理由


この絵は本文と関係があるかもしれないしないかもしれない
























このブログ、サボっていてたというわけではなくて更新できずにいた。

ヨガはヨガです、と勢いよく書いた後、で、ヨガってなんなの?という疑問のるつぼにはまって出てこれなくなった。
まあそれはそれで、面白くもあるのだけれど。

世間で思われているヨガ、ヨガの世界で捉えられているヨガ、それぞれの人が考えているヨガ…

かつては、世間で思われているヨガと『本来の』ヨガの間に乖離はあっても、ヨガそのものには確固とした本質があると思っていたのだけれど。

そう、けれど…なのだ。

これといった答えが見つかったからブログに帰ってきたわけではなくて、相変わらずウロウロしてるのだけれど、そんなウロウロも書いてみようと思いなおしたところ。



またすぐに続きを書くかもしれないし、書けないかもしれないし、書かないかもしれない。