2019年7月17日水曜日

心を眺める

お悔やみにいただいた百合が開いた
























小さな医院の、診察室の前の椅子に座って、名前を呼ばれるのを待つ間、部屋の中を見回す。




中身がわかるようにシールが貼られたプラスチックの何段にも重なった薄い引き出し、その上にも、処置用の用具らしい長いカタカナの名前が書かれた箱。



敢えて、来たことのない医院を選んだのだけれど、どこの風景も似たり寄ったり。母のことを考えそうになったとき、診察室から名前を呼ばれた。



受付で教えてもらった1番近くの薬局は、母と最後に鉢植えの花を買ったお店の数件隣で、その向かいは母が気に入っていた和菓子屋さんだ。



「お薬手帳はお持ちですか?」

これも、母と一緒に何度も聞いたお決まりの質問。

ありません、と言うと、可愛らしい犬のイラストのを渡された。



家に向かい自転車で走ると、母の通っていた眼科の前を通る。




これでもか、と、母を思わせるものが立ち現れる。避けようもないのだ、同じ町でずっと一緒に暮らしてきたのだから。




でも、

そこで寂しさや悲しみを感じるのは、立ち現れたものごとのせいではないことを、幸い私は知っている。




以前と変わらずそこにある景色に、

母のことを結びつけているのは私の心。




そうして自らざわざわする心を、少しだけ離れて眺めている私がいる。

だから、沸き起こった感情に、飲み込まれずに済む。




気持ちが沈むことも泣くこともあるけれど、そんな自分を、なんとか取り扱えている。




仏教やヨガや、古の教えは、私たちの心こそが、私たちを苦しめるのだと知らせてくれるし、その心をどう取り扱えばいいのかを示してくれる。




そういう教えに、少しずつ触れてきたおかげで、始終波立つ心との間に、わずかながら距離を保てるようになったことを、母の不在を通して感じる日々。




もともと感情的な方だから、また何時大波が起きるかもしれないとは思うものの、




そのままどこかに流されてしまうようなことはもう無いと、これまで持てたことのない自信が微かにある。





寂しくて、悲しくて、幸せ。









調子に乗ってあれもこれもと睡眠時間を削って動き回っていたら、膀胱炎になりました。

血尿が出てびっくりして、祝日だったので休日診療に行き、大量の麦茶を飲んで、もらった抗生物質を飲んだら症状は消えました。

が、尿検査の結果が悪くて脅されていたので、念のため近所の医院へ。

でもやっぱりほぼ治ってたみたいです。







2019年7月12日金曜日

扉をもう一度

届いたばかりのアフリカ最新号

























「アフリカにチベットのこと書いてええのん?」

ほろ酔いで言った、くだらない冗談から始まったのだ。



インド、ネパールのチベットエリアをひとりで周って帰ってきたばかり、人に伝えたい、と、強く思うことがあった私の前に、赤い表紙が目を惹くその雑誌が現れた。

詳しいやりとりはお酒のせいか時間のせいか記憶になくて、でも、書きたい、と申し出ることの気恥ずかしさを、冗談でごまかしたことは覚えている。



2009年のことだ。



言葉どおり、次の号に1ページに収まる短いエッセイを書かせてもらい、そこからの数年で、長い連載も完成させた。



その後、書くことを辞めるつもりも、アフリカから離れるつもりもないまま、筆が止まってまた数年。


そろそろ、と、ブログで助走をつけてみていたところに、

たぶん、私の一生で最も悲しいであろう出来事が、最後のひと押しをしてくれた。




今、目の前にある、変わらず切り絵が美しい表紙は、

始まったばかりの、私の新しい時間の扉のよう。




子供の頃から、書くことは私の大切な一部なのに、どういうわけか、離れたり戻ったりしていたけれど、


でも、やはり書き続けなければ、と、確信している。




読まれるか、読まれないか、

誰が読むのか、

そんなことはどうでもよくて。



書いている間、私は全ての悲しみや痛みから離れることが出来る。


それこそ、私が生きることの中に、書くことが含まれているという証拠なのだと思う。




「アフリカ」2019年7月号、

「月と車椅子」という短編に、母への想いを込めました。

他の作品も、それぞれの人生を映して興味深いものです。

読んでみようと思ってくださる方、お知らせください。

一冊500円で配布しています。


郵送も、送料込みでお受けします。