畑越しに山が見えるここの景色が好き |
ヨガの練習を続けて、
できないポーズができるようになっていく、
その過程には、
身体のこと、自分自身のこと、
いろんな気づきがあって、それが私たちを成長させてくれる。
でもその成長は、
今の自分に何ができて何ができないのか、
身体も心も、
まっすぐに見つめた上でしか起きない。
そしてそれは、たぶん簡単なことじゃない。
かつて、
ダンスに明け暮れていた頃、
なんだか気持ちが塞いでしまったことがあった。
心の真ん中に、よくわからない不快な感情があって、
それが、自己嫌悪だと気づくまでに、1週間ほどかかった。
それまでの私は、
どうしたら評価されるのかといつも考えていて、
評価されるような自分ではないことに、まるで目を向けていなかった。
なんでもできているようなつもりになって、
本当は空っぽなのに、
自分を大きく見せることばかりに熱心だった。
何ができていないのか、
どうすればそれができるようになるのか、
そこに思い至らずに、
練習だけはよくするけれど、
それでは何も変わらない。
そんなことを何年も続けて、
とうとう、気がついたのだ。
私には、謙虚さがない。
一体何様のつもりだったのだろう。
何にも見えてなかった自分が恥ずかしくなって、
何にも見えてなかった自分が恥ずかしくなって、
自己嫌悪に陥っているのに、
それが自己嫌悪であることにすら気付けなかった。
この気持ちを絶対忘れてはいけない。
決して早くはないけれど、
この先は謙虚に自分を見つめて生きよう。
そう思って、
ちょうど1月半ばだったから、
遅まきの書初めのようなつもりで、
手元にあった筆ペンで、謙虚、と書こうとしたら、
謙虚という漢字すら忘れていて、
情けなすぎて笑ったのを覚えている。
誰だって、
自分をよく思いたいし、よく見せたい。
ヨガのポーズを練習したからといって、
そんなエゴが、簡単になくなるはずもない。
でももし、変わりたいという気持ちがあるなら、
エゴをちょっと脇にどけてみないと、
リアルな自分は見えてこない。
一昨日、
ふと、また、謙虚さを忘れていた気がして、
あの時みたいに筆ペンで書いてみた。
さすがに、漢字は忘れていなかった。