2017年9月25日月曜日

マイソール、という練習方法


アシュタンガが生まれた南インド、マイソール市の顔、マイソールパレス


















ヨガのクラス、と聞いて大抵の人が思い浮かべるのは、生徒さんたちの前に先生がいて、先生がしたポーズを生徒全員が真似て、といった光景だろうし、それで概ね間違っていないと言えると思う。




でも、アシュタンガヨガの、本来の練習方法であるマイソールクラスの景色はそれとは違っている。




まず、生徒のやって来る時間がまちまち。

来た人から、黙ってマットを敷いて自分で練習を始める。

先生は、みんなの周りを見て回っていて、自分がポーズをとることはない。




ポーズの順番が全て決まっていて、生徒はそれを覚えて繰り返し練習する。

だから、みんなで一斉に練習する必要も、前で先生にデモンストレーションしてもらう必要もない。




もちろん、最初から皆がポーズの流れを覚えているわけではない。

始めてクラスに来た人は、まず、練習のはじめにすることになっている太陽礼拝を先生から習う。

息を吸いながら両手を挙げて、息を吐きながら上半身を倒して、と、動きと呼吸をひとつひとつ。

それを、繰り返し練習して、自分一人で出来るようになったら、先生が次のポーズを教えてくれる。

それが出来ればまた次のポーズ。

太陽礼拝から始まり、習ったところまでを日々繰り返し練習する。

そのようにしてひとつずつ、出来るポーズが増えていく。







クラスとして変わっている、と思われがちだけれど、実はそんなことは全くない。

私はこれとそっくりなお稽古事を身近に知っている。




私の母は、長らく生花の先生をしていたのだけれど、お稽古日には、生徒さんたちが三三五五やってきてお花を生け、生け上がったお花にそれぞれのアドバイスをもらって、また三三五五帰って行った。今思えばマイソールクラスと全く同じスタイルだ。




本来、先生から生徒への指導というのは、しばしばこんな風に、1人ひとりの違いや習熟度に合わせて、個別に行われていたはずなのだ。




ことヨガとなると、自分で練習を進めないといけないというので、初心者には無理だと思われることが多いのだけれど、実は真逆で、グループクラスのように、周りの人に合わせて動く必要が全くなく、その人の体力、柔軟性、筋力などに合わせて練習が進むから、ヨガをしたことのない人、身体を動かすことに慣れていない人でも問題なく続けられる。




それでも敷居が高い、と感じる人がいる。

それには、その人の、練習や学びへの向き合い方が関係すると思うのだけれど、そのお話はまた次に。



プラクティスについて書いた前回記事
http://yukkuritooku.blogspot.jp/2017/09/blog-post_22.html

2017年9月22日金曜日

プラクティス、とは?

たまにはポーズの写真を。マイソールにて、シルシャーサナ。























ヨガを始めたばかりの頃、スタジオに通いながらも、モヤモヤしていることがあった。




どのクラスを受けても、先生のガイドに従って、毎回違うポーズをするだけ。

始めて習ったうまくできないポーズも、1回して終わり。

次の週に同じクラスに行っても、そのポーズが出てくるとは限らない。




長い間、同じことを何度も繰り返して身に付けていくダンスの練習に馴染んできた私は、違和感でいっぱいだった。




腑に落ちないまま2か月ほど経ったあと、どんなものかもよく知らずに、アシュタンガヨガのクラスに。




毎回同じ順番で決まったポーズを繰り返し練習する。

順番を覚えて、自分で練習を進めていく。

どこへ行っても、先生がいてもいなくても、練習ができるようになる。

練習が、自分のものになる。




そこには慣れ親しんだ、プラクティスの姿があった。

いや、プラクティスってそもそもそういうことのはずではなかったのか。




ようやくモヤモヤが晴れ、その2か月後には、アシュタンガヨガ本来の練習方法であるマイソールクラスに通うようになった。




アシュタンガだけがヨガだというつもりはない、実際そうは思っていない。

でも、練習、プラクティスを続けることがヨガであるとは思っているし、私にとっての練習、プラクティスとは、日々繰り返し積み重ねること以外にない。




そして、そう考える私が、ヨガを始めて間なしに、マイソールクラスに出会えたのは、偶然ではないと信じている。







マイソールクラス、とは?

についてはまた次回。


2017年9月16日土曜日

ご縁が繋がるところ

ブッダガヤのお釈迦様が悟りを開かれた
場所に立つマハーボディ寺院






















2011年の暮れから2012年の年明けにかけて、ダライ・ラマ法王のカーラチャクラ灌頂に集まった人々で大混雑するブッダガヤにいた。
お釈迦様が悟りを開かれた聖地、とはいえ田舎町で、参加者用のテント村なども用意されるけれど、世界中から集まった人を収容するだけの宿泊施設はない。


そんな中、私は仏心寺と言う日本の小さなお寺が併設するゲストハウスで快適に過ごしていた。
たまたまインターネットで見つけて、1年近く前に予約を入れておいたのだ。
もちろんここ以外にもホテルやゲストハウスはあるけれど、予約を入れたところで、そこはインド、あてになんかならない。
でも、日本人のお坊さんは、当たり前だけどちゃんと部屋を確保してくれていた。


メールでやりとりしただけのそのお坊さんに実際会ってみると、ずいぶん若くて驚いた。
このお寺とゲストハウス、それからここで開いている貧しい子たちのための学校の面倒を見るために、年の半分をブッダガヤで過ごしていると聞いて、さらに驚く。


ゲストハウスのみんなで作った晩ご飯を食べる

















カーラチャクラの期間中、他の部屋のチベット人やドミトリーの日本の若い子たちと、晩御飯を一緒に作って食べたり、巡礼に行ったり、阿弥陀様の前でお勤めをしたり。
そんなこんなを、いつも静かに見守ってくれている若いお坊さん。
ブッダガヤは、仏教徒でなくともいるだけで平和な気持ちが溢れる聖地なのだけれど、仏心寺は、そこに集った人たちを、優しく結びつけてくれる、そんな場所だった。


その頃は思ってもみなかったのに、ヨガを始め、さらに少しずつ指導も始めていた頃、お坊さんから連絡をいただいた。
彼のお父さんがご住職をされている日本のお寺でイベントをすることになり、そこでヨガをしてほしいということだった。
それが、3年前の、初めての「テラキテ」だ。


聞いてみると、テラキテのチラシのデザインをされたのも、やはり仏心寺を訪れた方、イベント当日、カレーを販売していた方もそう。
ブッダの聖地でつながった人たちが、日本のお寺でまた集う。
ご縁、というものを感じずにいられない。


その後、月1回定期的にそのお寺でヨガのクラスをさせていただくようになり、またそこでもご縁が広がっている。



ご縁に導かれて、また新たなご縁に出会う。

それが人と人なのだなあと思う。























そして、来月8日、3度目の「テラキテ」。

今年のテーマは『結』。

これまでのご縁を大切に、また次の良きご縁が結ばれますように。